狂気の刹那

殺人犯の人質になってしまったナツメ。
なぜか犯人に対して妙な感情が芽生えて…
《読了時間の目安:7分》

ナツメが仕事帰りの道を歩いていると、うしろから人の走る足音が近づいてきた。
振り返ると、若い男がこちらに向かって走ってきている。
ナツメは男の邪魔にならないよう、歩きながら道の端によった。
男の足音がどんどん近づいてくる。
そろそろ追い越されるかと思った、その時だった。
「えっ……」
男がナツメの腕をつかんだのだ。
「大人しく言うことを聞いてください」
男はそう言うと、ポケットからナイフを取り出し、ナツメに向けた。
驚いたナツメが硬直していると、今度は数人の走る足音が近づいてきた。
男は素早くナツメをうしろから拘束し、その喉元にナイフをあてた。
「刑事がきますが、大人しくしていてください。妙な動きをしたら迷わず殺します」
男を追いかけてきた刑事たちは、状況を目にすると、あわてて足を止めた。
「おい、イシジマ──」
「それ以上近づくな! 一歩でも動いたら、この女を殺す」
イシジマと呼ばれた男はそう叫ぶと、周囲に目を配りながらナツメに向かって小さな声で言った。
「……あなたの家は近いですか」
「はっ、はいっ、あのっ……すすす、すぐそこにっ、見えてるっ、あ、赤茶色のっ、マンションですっ……」
「では、そこへ行きます」
イシジマはナツメを拘束したまま、ジリジリと動き出した。
「おい、待つんだ!」
刑事が一歩踏み出した。
「一歩も動くなと言ったはずだ!」
イシジマは叫び、ナイフを持つ手に力を込めた。
「今度動いたら、本当に殺すからな。この女が死んでもいいのか」
イシジマはそう言うと、再び、ゆっくりと動き出した。
「どこへ逃げても無駄だぞ。これ以上罪を重ねてどうする!」
刑事は叫んだが、もう追いかけてはこなかった。

ナツメの部屋に入り、ドアのカギを閉めると、イシジマは深く息を吐いた。
ナツメはもう、拘束されてはいなかった。
「あ、あの……」
「中に入ってください」
「はい……」
イシジマの手にはナイフが光っている。
ナツメは言われた通り、部屋の中に入った。
イシジマもあとに続くと、すぐにベランダへ向かい、雨戸を閉めた。
「電話、ありますか」
イシジマが言った。
「あ、あの……携帯なら……」
「貸してください」
「はっ、はい……」
ナツメはバッグから携帯電話を取り出そうとした。
しかし、焦っているせいか、なかなか見つからない。
ガサゴソとバッグの中をかき回す音だけが、静かな部屋に響く。
気まずい沈黙は、ナツメの恐怖心を増長させた。
「あっ、あれっ、おかしいな……えっと……えっと……すっ、すいませんっ……」
ナツメの手足がふるえだした。
「……あせらなくていいですよ」
ナツメはやっと携帯電話を見つけると、ふるえる手で、それをイシジマにわたした。
「ありがとう」
イシジマは、携帯電話を受け取ると、すぐにどこかへ電話をかけた。
「……イシジマといいます、黙って聞いてください。今、この携帯電話の持ち主の部屋にいます。警官が突入してきたら、その瞬間に女を殺します」
それだけ言うと、イシジマは電話を切った。
「そういうことなんで……しばらくここにいさせてもらいます。妙なことをしたら……わかりますよね」
「…………」
「とりあえず、座りましょう」
イシジマはナツメをベッドに座らせ、自分もその横に座った。
イシジマの口調は、怒鳴ったり、脅したりするようなものではない。
しかし、その抑揚のない静かな声が、異様な不気味さを感じさせた。
「テレビ、付けますね」
イシジマはテレビの電源を入れた。
ニュース番組が、少女連続殺人の事件を報道していた。
それは最近繰り返し報道されている事件で、ナツメも知っていた。
少女ばかりが何人も殺されている、ひどい事件である。
画面に、逃走中の容疑者の顔写真と名前があらわれた。
それを見て、ナツメは息をのんだ。
「──僕ですね」
イシジマが人ごとのように言った。
ニュースは新しい情報として、犯人がマンションの一室に立てこもっていることを伝えた。
それはまさしく、この部屋で起こっている出来事だった。
「ふるえてますね」
イシジマはナツメを見て言った。
「す、すいません……体が勝手に……すいません……」
「あ、血がでてます」
「え……?」
「首のところ……ここへ来るとき、ナイフで傷つけてしまったようです。すみません」
「あ、いえっ、だっ、大丈夫です……気付かなかったし……あっ、えっ……?」
ナツメは硬直した。
イシジマが突然、ナツメの首の傷をなめたのだ。
イシジマはそのままナツメをベッドに押し倒し、なにかに取り憑かれたかのように、その首すじに何度も、何度も、キスをした。

ナツメの体のふるえは、いつの間にか止まっていた。
恐ろしい状況なのは分かっていたが、ナツメの中に、妙な気持ちが芽生えていたのだ。
その気持ちはどんどん大きくなり、ナツメは思わず、イシジマの肩を抱いた。
すると、イシジマは驚いたように顔を上げた。
「あっ……すっ、すいませんっ……」
ナツメがあわてて手を引っ込めると、イシジマはその手をつかんだ。
絡み合う二人の視線は、お互いに相手を強く求めていることを物語っていた。
二人は引力に導かれるように、口づけをかわした。
探るようなキスはやがて、強く求め合うような、激しいものに変わっていく。
イシジマはナツメの服をたくし上げると、あらわになったナツメの乳房に触れ、乳首をなめた。
「んっ……ん……」
ナツメがたまらず甘い声を漏らすと、イシジマはナツメを強く抱きしめた。
そして、ナツメのスカートの中に手を入れ、下着をぬがせると、自分もズボンを下ろし、勃起したペ○スを出した。
二人はお互いの気持ちを確認するように見つめ合うと、一気につながった。
「ああっ──」
ナツメの体を壮絶な快感が貫く。
ナツメは夢中で、イシジマにしがみついていた。
すると、イシジマが言った。
「……そんなにくっついたら……動けません……」
「えっ、あっ、やだ……わたし……」
ナツメがあわてて手足の力を抜くと、イシジマは腰を動かしはじめた。
「でも……うれしかったです……」
「えっ……?」
ナツメは聞き返したが、イシジマは答えず、腰の動きを激しくした。
「あっ、まって、あっ、ああんっ──」
ナツメの体は狂おしいほどの快感に支配され、会話どころではなくなってしまった。
「はぁっ、んんっ、すごいっ、ああっ──!」
心も体も、ナツメの全てが、イシジマを強く求めていた。
「あっ、あっ、ダメッ、わたしっ、もうっ……」
ナツメは差し迫った声をあげた。
「んんっ、あっ、あっ、あああああっ──!」
絶頂を迎えたナツメは、体を弓のようにそらし、ビクンビクンと痙攣した。
「ああっ……あっ……んんっ……」
イシジマは、瞳を潤ませてあえぐナツメを見て、喜びと悲しみの入り交じったような、なんともいえない表情を浮かべた。
そして、いっそう腰の動きを激しくし、絶頂の感覚と共に、深く強く突き上げた。

テレビの画面には、ナツメのマンションが生中継で映っていた。
外は警察が包囲しているに違いなかった。
ナツメがなにも言えずにいると、イシジマが口を開いた。
「もう覚悟はできています」
相変わらず感情のない、静かな声だった。
「キミを傷つけるつもりはありませんから、安心してください。……でも残念です。もっと早くキミと出会っていれば、僕の人生は違っていたかもしれません」
「えっ……」
「僕は、もうキミに会うことはないでしょう……」
「……」
ナツメはなんと言っていいか分からず、ただただ、イシジマを見つめていた。
「そうだ、キミの──」
イシジマはそう言いかけて、言葉を止めた。
「……?」
ナツメは聞き返そうとしたが、急激な眠気に襲われ、体に力が入らなくなり、座っていたベッドから床に崩れ落ちた。
「なによ……これ……」
見ると、イシジマも床に倒れていた。
「警察が……なにか……したらしい……」
イシジマは倒れたまま、ナツメを見て言った。
「キミの……名前……」
「わたし……?」
ナツメは、意識を失いそうになるのを必死に我慢して、言葉を発した。
「わたし……は……ナツ……メ……」
「ナツメ……」
イシジマはナツメの名を呼び、ナツメの方に手を伸ばした。
ナツメも手を伸ばす。
しかし、ナツメの意識はもう、限界だった。
イシジマに手が届く前に、ナツメは深いまどろみの中に落ちていった。

気が付くと、ナツメは病院のベッドにいた。
「ご気分の方は、いかがですか」
やってきた刑事が言った。
「だいじょうぶです……」
ナツメが答えると、刑事は事情を説明した。
犯人逮捕と人質救出のため、ナツメの部屋にガスを入れ、二人を眠らせたのだという。
イシジマは逮捕された。
「犯人逮捕のためとは言え、あなたにまでガスを吸わせてしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ……」
「明日また来ます。その時には詳しい話をお聞きしますので……つらいとは思いますが、ご協力をお願いします」
「はい……」
刑事は病室を出て行った。
ナツメは行き場のない感情を胸に、声を押し殺して泣いた。

おわり